1883年の夏、ブラームスはヴィースバーデンで過ごしました。
ライン河に面した美しい保養地での休暇中に作曲された交響曲第3番は、音楽史上においても重要な作品となります。
交響曲第3番、またの名を「ヴィースバーデン交響曲」
ブラームスは交響曲第3番をヴィースバーデンで作曲しました。
ということは、曲の解説に大抵書いてあるので有名な事実なのだろうと思いますが、この交響曲が「ヴィースバーデン交響曲(Wiesbadener Symphonie)」と呼ばれていることは、今回この記事を書くのに調べものをしていて初めて知りました。
そう呼んでいるのはヴィースバーデン市だけか?と思ったら、ブラームス自身がそのように表現したらしいです。
ブラームス協会ヴィースバーデン・ラインガウのサイトにそんなようなことが書いてあります。
とすれば、「ブラ3」よりも「ヴィースバーデン」と呼ぶ方が、ブラームスの意に沿うのかもしれません。
ブラームスとヴィースバーデン
1882年12月から翌1883年4月にかけて演奏旅行
旅先で50歳になり(ブラームスのお誕生日は5月7日)
一連の演奏活動が一区切りついたところで
リューデスハイムに住むベッケラートを訪れ
この年(1883年)の夏を、リューデスハイムの近くのヴィースバーデンで過ごしました。
ちなみに、ブラームスが1883年の夏にヴィースバーデンで滞在した家についての記事はこちら↓
ヴィースバーデン市のサイトによると、ブラームスはヴィースバーデン滞在中、ネロベルクとタウヌスをうろうろしていたようです。お散歩に出ては曲の構想を頭の中で巡らせていたのでしょう。
1884年1月18日には、ヴィースバーデンで交響曲第3番その他の演奏会を行っています。
ブラームス最後の恋?
時を少しだけ戻して、この1883年の1月には、ブラームスはクレーフェルトの演奏会で、歌手のヘルミーネ・シュピースと出会っていました。
彼女は当時27歳。23歳も年の離れたこの女性にブラームスが心を動かされたというのは有名な話です。
ヘルミーネさんはブラームス保養中のヴォースバーデンを訪れたとか、ヘルミーネさんがヴィースバーデンにいるからブラームスが会いに来たとか、説は複数ありますが、いずれにしても二人はヴィースバーデンで交流を深めたらしく・・お二人の仲がどこまで進展したのかはわかりませんが、結婚には至らず、ヘルミーネさんは1892年に、35歳の時に法律家と結婚しましたが、その翌年急逝してしまいました。
《超簡略版》ヴィースバーデンの地理・歴史と見どころ
これから追加予定
ヴィースバーデンへの行き方
フランクフルト中心部や空港駅からSバーン or 他利用で30~40分
ヴィースバーデンの基本情報
ヘッセン州の州都ヴィースバーデン市役所のサイト(多分)
ヴィースバーデンのヘルスケア・経済・観光情報
https://www.wiesbaden.de/ja/
LINEトラベル
ドイツの高級保養地ヴィースバーデンは温泉でのんびり&カジノで刺激!
https://www.travel.co.jp/guide/article/9083/