最近、こういう記事を書きました。
幸福・幸せ研究室「幸せになる技術 ―親切にしよう!」
親切が幸福度・健康度を向上させてくれることは科学的に証明されたので、いっぱい親切にして幸せになりましょうよ。という主旨の記事です。
その関連記事で、「情けは人の為ならず」ということわざを使いました。
この意味を誤って思い込んでいないか一応調べてみたところ、私の記憶は正しかったのですが、現在では解釈がほぼ半々になっていることがわかりました。
「情けは人の為ならず」正解と誤解が半々
「情けは人の為ならず」とは本来、「人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる」という意味です。
文化庁の調査(平成22年度)によると、「情けは人の為ならず」の意味を尋ねたところ、本来の意味を選んだ人が45.8%、「人に情けを掛けてやることは,結局はその人ためにならない」を選んだ人が45.7%と、ほぼ同数いたということです。
文化庁月報平成24年3月号(No.522)
連載 「言葉のQ&A」「情けは人のためならず」の意味
年代別に見ると、50代以下(今から10年近く前の調査なので、今なら60代以下でしょうか)では誤解している人の割合が多くなっていて、10代を除いて誤った解釈で記憶している人が若い世代ほど多いことがわかります。
言葉を大切にする人、しない人
私は長年文字を扱う仕事をしてきたので、言葉にこだわり、言葉を大切にする習慣が身についています。
言葉を大切にするというのは例えば、誤った用い方をしないように気を付けるとか、悪い言葉をあまり発しないようにするとか、言葉の持つ歴史に配慮するとか、そういうことです。
でも、世間ではそういうことに無頓着な人の方が多数派なような気がします。誤用表現を見かける機会は、日本でブログが流行り始めた2000年代初頭から、非常に多くなりました。文字で発信するメディアでありながら、文字や表現の正誤についてあまり気にしないで書く人が多いのでしょう。
あるいは、正しいと思い込んでいるか。
これまでの経験上、言葉を大切に扱う人との方が、仕事の相性は良かったです。そういう人の方が、仕事の内容・クオリティが確実な印象です。
言葉を大切にしない人、言葉をうろ覚えのまま使う人、間違った解釈の思い込みが多い人、解釈の難しいメールや誤字脱字の多いメールを送ってくる人とはちょっと・・詰めの甘い仕事をする人が多くて手間が増えます。大らかなのは大いなる美点なのですが。
で、私はどちらかといえば、クオリティの高い仕事をする方だと自負しています。
インターネットによる誤用表現の普及
コンテンツマーケティングが広く行われるようになった2010年代半ば頃になると、大手企業の展開しているウェブサイトの中でも、誤字脱字誤用表現が目立つようになったように思います。
高速に回すPDCA、コンテンツを増やす要求に対して、記事のクオリティを保つための校正・校閲が、全然追い付かないのだろうということは容易に察しがつきますが、それにしてもひどいなぁと思いながら見ていました。
最近は少しマシになりましたが、大勢の人が読む記事で誤った表現が使われることから、その誤用表現を使う人が増え、世の中にだんだんと浸透して、正しい意味が失われていくものもあることでしょう。
言葉は生き物だから、新しい意味が加わったり、解釈が変化していくのは仕方がないのですが、言葉を大切にしない人たちの所業によって変化していくことには抵抗を感じないではいられません。これも情報化の一側面なのだと諦めつつ・・。
一所懸命にこだわる
武士が賜った領地を命がけで守ることから生まれた「一所懸命(いっしょけんめい)」という言葉。年月を経て「物事を命がけでやる」という意味に転じ、「一生懸命」と書かれ「いっしょうけんめい」と発音されるようになりました。
NHKや新聞では寄稿を除き「一生懸命」で統一しているようです。世間でも「一生懸命」派が断然多数。でも私は「一生懸命」を使う気になれません。
そもそも何かを懸命にやる時、命を懸けてまでやることはほぼありませんが、しかも「一生」やることなんて、さらにないんじゃないかと思うんです。
だったら、目の前にある課題(≒一所)に熱心に取り組むくらいの意味で、「一所懸命」と書いた方が分かりやすい。少なくとも私には。
なので、私は「一生懸命」とは書かず「一所懸命」と書くようにしています。このブログの他の記事でも、twitter(@buji_kaeru)でも「一生懸命」と書かず「一所懸命」と書いているのは、誤りではなくて、敢えてなのです。
今後も、細かいこだわりと笑われようと、一所懸命に言葉を大切に、言葉にこだわっていきます。