職場で、夏苅郁子さんの『病院で聞けない話、診察室では見えない姿 精神科医療の「7つの不思議」』を借りました。
とても良い内容だったので、メモを残します。
夏苅郁子さんとは
精神科の医師で、かつご自身が精神疾患の患者さんでもあり、ご母堂が統合失調症だったということで、精神障害者のご家族でもあるという、3つの立場を持つ方です。
1954年生まれ。
2021年現在の今年には67歳におなりですが、20歳の頃より今の方がずっとお元気だそうで。
ご自身が精神科の患者さんで自殺未遂も経験したことや、ご母堂が統合失調症であったことを長い間伏せてきたという経験をお持ちです。
そんな夏苅さんにしか発信できないことを、10年ほど前からたくさん発信されるようになりました。
そのきっかけとなったのがこの本。
私もこの本は読みましたが、この作者でマンガ家の中村ユキさんと出会ったことで、ご自身も発信者となることで、夏苅さんの人生が大きく変わりました。
書籍の執筆、マスコミの取材対応、全国各地での講演活動など、現在進行形でご活躍中です。
静岡県焼津市にご自身の診療所をお持ちです。
この本にこめられているもの
夏苅郁子さんは、精神科医として診察もしつつ、10年前にご自身やご母堂の疾患を公表してからは、全国の数えきれないほどの患者さんやご家族とつながってきました。
夏苅さんは、「精神障害者の本当の人生や家族の思いを、精神科医にもっと知ってほしい」「医師の診療が少しでも思いやりのあるものになってほしい」という強い思いをお持ちですが、その思いをさらに伝えるための本が当該書籍です。
この本には、患者さんやご家族が抱える疑問や悩みなどに寄り添いながら、夏苅さんが精神科の医師として見た現実も盛り込まれ、精神科医療・精神医学に対する夏苅さんの今の思いなどが綴られています。
この本の構成
序章:病気のことがわかっていないから起こる…精神科医療の「七つの不思議」
第1章:不思議1 病名を言われずに、何十年と通院している患者さんがいる
患者・家族としての私の願い:病気を理解するには、病気の説明が必要です
第2章:不思議2 何十年も薬を飲んでいるのに、ゴールが見えない
患者・家族としての私の願い:薬を出すなら、「薬を減らす」「薬をやめる」ことも同時に考えて!
第3章:不思議3 精神疾患の原因や薬を見つけるための研究が進んでいない
患者・家族としての私の願い:研究に患者・家族の参加を!
第4章:不思議4 医師から「統合失調症はありふれた病気」と言われる
患者・家族としての私の願い:患者・家族の実際の生活を知ってください
第5章:不思議5 「病気」を自覚できない人もいるのに、病院へ行かないと治療されない
患者・家族としての私の願い:患者さんやご家族は「承認される」ことを願っています
第6章:不思議6 思春期の患者さんの入院に適した病院がほとんどない
患者・家族としての私の願い:人間の発達課題を、学び訓練したスタッフを
第7章:不思議7 成人した患者さんに対して、なぜ「家族会」が必要なのか
患者・家族としての私の願い:家族の本当の願いは「家族ケア」ではありません
第8章:アンケートから見える「望まれる医師像」
終章:精神科医療の未来に向けて
序章 病気のことがわかっていないから起こる、精神科医療の「7つの不思議」
精神医学は、病気の原因を未だに見つけていない。
メディアでは「精神疾患の原因が明らかになった」と報じることがあっても、それはごく一部を垣間見ただけのことであり、精神疾患の正体は未だにわからない。ということを冒頭で明言されています。
医師や研究者、家族、支援者が懸命に勉強してたどり着く結論でもあります。
この本で書かれる、精神疾患と精神科医療と制度に関する7つの不思議はそのように、精神疾患の正体がまだわからないために存在するのだとしています。
第1章:不思議1 病名を言われずに、何十年と通院している患者さんがいる
精神疾患の診断は難しい
精神疾患の多くは、いくつもの症状が重なっていたり、変化していったりするため、1つの病名を付けることが難しい。
医師によって診断が変わる。
聴き取り方(面接技法)により患者さんの主訴は変わる。
患者さんの主観で判断すると偏る。
そんな状況を、DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)は一変させたけれども、まだまだ大きな問題があり。
一方、技術の進歩により、遺伝子解析やバイオマーカー、脳画像検査などによる客観的なデータの積み重ねにより、「統合失調症」「双極性障害」「うつ病」「発達障害」などの疾患が、境界不鮮明に重なっていることが改めてわかってきて。
そんな状況を反映させたりしながら、さらに改訂を重ねられているDSMは過渡期であり続けていて、精神医学の診断方法もまだまだ変化の余地があるようです。
精神疾患は長期の経過をたどることが多いため、特定の時期の症状だけを取り上げて診断名を付けようとすると、その後しばしば矛盾が生じます、そのため、現在のDSMは2つの病名を付ける併存を認めています。
また、ご自身の精神症状を引き合いに出しながら、見かけの症状で診断する精神科診断だと、非常にわかりにくく誤解を生みやすいものであるということも主張されています。
精神疾患の原因は、遺伝と環境と運
第1章では、精神疾患を巡る遺伝と環境の問題についても、患者本人や家族の不安と、精神科医としての考えとがどちらも書かれていました。
発症する確率について医師は確率で語るけれども、患者や家族は確率の数字を知りたいわけではない。でも、現在の医学的には、発症するかどうかを判断することはできない。患者や家族はそれを受け入れる他はない。
夏苅さんによる言葉ならではの重みがあります。
夏苅さん自身は、精神疾患の原因を、遺伝・環境・運の3つの要因で捉えています。
臨床遺伝専門医の尾崎紀夫氏、石塚佳奈子氏の論文を引用したり(「あらゆる出来事には偶然が関与する。偶然とはつまり『運悪く病気になった』ということである。」)、小精神療法の笠原嘉氏の「『運』というものが人間にはある。たまたま『運わるく』というところが大ていの病気の発生にはつきまとう。精神病も例外ではない。『運因』と言ってもよいのである。第一線をいく臨床家こそこの『運因』をもっともよく知っているはずだ。われわれ平均人健康人より、遺伝、家庭関係、能力、対人関係、その他において一寸ばかり不運が重なったのであって、そんなに違いはしない。精神医学的ケースとは元来そういうものなのではないか」を引用したりしながら、「人生は基本的には不公平」という60年余りを生きてこられた実感を語られています。
でも、運は人の手では変えられないけれども、遺伝と環境は変えられる領域になっていく。精神医学の進む道は少しずつ、たくさんの人の手で作られているですね。
患者・家族としての私の願い:病気を理解するには、病気の説明が必要です
現在、精神医学で分類されている「病名」は、本来の精神疾患の原因から区分されたものではなく、異なった原因のものが雑多に混ざった状態。そのことを、患者や家族にわかりやすく説明する義務が、精神科医にあると思うと述べられています。それが、専門知識を得たものの責務であると。
質問することも、薬の副作用すら訴えることもできなかった時代もありましたが、現在はもはやそんな時代ではない。
インフォームドコンセントから、共同意思決定へ。
患者や家族が前に進んでいくためのツールとなる「質問促進パンフレット」の紹介もありました。
「質問促進パンフレット」http://decisionaid.tokyo/
第2章:不思議2 何十年も薬を飲んでいるのに、ゴールが見えない
ゴールのない薬物療法について書かれた章です。
薬を出すときの精神科医の本音、偶然の出会いから生まれた精神科の薬、飲んでみなければわからない精神科の薬物療法。ご母堂は50年間、ご自身は7年間精神科の薬を飲み、それでも薬は有益であり感謝していると夏苅さんは述べています。
薬によって得るものも、失うものもある。怯えや興奮からは解放されるものの、日常生活を送れなくなるほどの副作用。依存性。命に関わる事故。減薬のための死に物狂いの努力と「人薬」。
その経験から発せられる「箱者ではなく人薬が必要」「収容施設だけでなく、薬物依存を理解する人を増やす政策を」という訴えは切実です。
減薬・断薬は主治医と相談しながら、医師は患者の努力や辛さに応え不安や迷いに晒されながら、無理のない減薬が勧められていまう。
患者・家族としての私の願い:薬を出すなら、「薬を減らす」「薬をやめる」ことも同時に考えて!
原因がわからない病気を抱えて生きるには希望が必要。
医師に対しては、原因が解明されていないのに薬を飲み続ける辛さを理解し、減薬可能な状態を常に意識しながら処方箋を書いてほしい。
また患者や家族に対しては、単剤や非定型抗精神病薬を求められることが多いけれども、二剤処方や定型抗精神病薬が有益・有効な例もあることを知ってほしい。
夏苅さんのお立場ならではの訴えです。
さらに、認知療法、認知行動療法、トラウマインフォームド・ケア、オープンダイアローグなどを紹介し、あらゆる作用が相互に影響して改善へ向かうことを伝えています。
参考:デビッド・バーンズ『いやな気分よ さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法』
第3章:不思議3 精神疾患の原因や薬を見つけるための研究が進んでいない
人間の脳は、人間以外の動物の脳を代用して実験することはできない。
人間の脳や心の研究には莫大なお金と数十年単位での時間が必要なので、研究が後退しがち。
薬の効果だけでなく、副作用の確認も必要。
国の研究費は短期間で成果の出るものに支給されがちで、日本では長期にわたる地道な研究にまわるお金も人も少なくなってしまっているそうです。
患者・家族としての私の願い:研究に患者・家族の参加を!
タスキギー梅毒実験という、アメリカで1932~1972年までの40年間行われた実験が紹介されていました。梅毒の全容と長期経過を調べるための人体実験で、自分が梅毒だと知らされず、治療を施されないままの人もいたそうで。人権問題ですね。
患者や家族が研究に参加することで、医師や研究者にも、もちろん自分たちにとっても、良い状況を作っていきましょうよ、ということを夏苅さんは書いています。
第4章:不思議4 医師から「統合失調症はありふれた病気」と言われる
統合失調症は、「ありふれた病気」「稀な病気ではない」と言われます。
同じ「統合失調症」という診断名でも、人によってタイプが全然異なり、1つの病名として括ることはできない。「双極性障害」に近い状態、「自閉症スペクトラム症」「アスペルガー症候群」に近い状態、軽い状態重い状態、多種多様。統合失調症自体が一つの大きな症候群なのではないか。
そんな症候群が、1%程度の割合で発症するという統計があるので、稀な病気ではないと丁寧に説明する方が、患者や家族にとって受け止めやすいのでは。
語句の微妙な使い方、言い回しのちょっとした違いで、患者や家族が追い込まれたり安心できたりするのだと説きます。
「生活の障害」から「生活の困難」に。
「正常と異常」から「生理と病態」に。
福田正人氏の言を引きつつ、内なる偏見を作らないための、患者と家族が孤独と混乱に追い込まれないための、言葉選びの必要性について書かれています。
患者・家族としての私の願い:患者・家族の実際の生活を知ってください
夏苅さんは、患者・家族の実際の生活を何もわかっていなかった、「診察室に座っているだけでは、わからないことがたくさんある」と書かれています。患者や家族の生活の一端を知るためにも、就労支援のA型やB型の事業所に足を運んでみるといいとか。
心の病は、誰もが人生のどこかで出会う病気であり、早めに気づいて専門機関で対処することが大事なのに、学校現場でほとんど教えられることなく現在に至り、ようやく2022年から40年ぶりに高校の保健の授業で精神疾患が取り上げられることになったことを評価しつつも「遅すぎる」とし、新たな偏見を作らないようにと注意を促しています。
日本では精神疾患を危険視する偏見があります。患者やご家族、ご友人から発信することは精神疾患を受け入れやすい社会を作るうえで有効だそうで、医学的知識だけだと却って偏見を煽りかねないけれども、経験的知識も大切にしながら、精神疾患の人が普通に受け入れられる社会を作っていくためのヒントが述べられていました。
第5章:不思議5 「病気」を自覚できない人もいるのに、病院へ行かないと治療されない
病気であるにも関わらず病気の自覚がない「病識のない人」は治療を受けず、病状を悪化させてしまうことがあります。統合失調症や薬物・アルコール依存症、摂食障害などがそれにあたり、自分が病気であるという判断・自覚がない場合があります。これらの病気は強い症状が突然現れるわけではなく、徐々に悪化していくことが多いため、初期の段階で対応することが望ましいのですが、日本の医療では病気を発症した人が自ら医療機関を受診しなければ治療ができません。そのため何年も未治療のままで放置されその間に心身ともに悪化、最終段階にようやく強制入院となり本人も家族も非常にしんどい思いをすることもしばしば。日本では予防に力があまり入れられず、精神疾患では特にその傾向が強いそうです。
病識のない人が治療を受けず症状を悪化させてしまう原因の1つに啓発不足があり、精神疾患について世間の人がもっと知ること、偏見をなくす努力をすることが必要であると夏苅さんは指摘します。
また、医療機関にかかったことのない人に医師は関われないため、病識のない人のことでは「医師も困っている」。つまり、患者もご家族も医師も困っている。そこで必要なのは公的な施策で、①メンタルヘルスケア啓発、②相談窓口の整備、③メンタルヘルスの責任を持つセンター設置と一般医療機関との連携、ネットワーク構築、などを提案しています。
患者・家族としての私の願い:患者さんやご家族は「承認される」ことを願っています
自分が自傷行為をやめられないのはなぜかという問いに対して、夏苅さんは次のように答えていました。
自傷行為は「生き辛さ」に追い詰められて万策尽きた一つの行為。孤独の人がやる行為。
必要なのは、生き辛さを抱えながらも生き続けていることを承認されること、褒めてもらうこと。人は承認されないと次に向かって進めない生き物のよう。承認されて区切りをつけて次に進み、また承認されて進む、その繰り返しが人生。
人生は跳び箱と一緒で、練習すればうまくなる。
診察は人と会話する練習の場でもあり、主治医は練習台にちょうどいいかも。
承認されることができたら、生き辛さを少しでいいので変える練習を始めましょう。ほんの少し何かが違うだけで、人との付き合いは変わるとわかります。
第6章:不思議6 思春期の患者さんの入院に適した病院がほとんどない
精神疾患の半分は14歳までに、残り半分のうちの4分の3は24歳までに発症するのに、思春期世代、中でも16~19歳の人が入院できる精神科の病院がほとんどないことをとりあげて、持論を展開されていました。
人間の脳が飛躍的に成長し、「ヒトが人間に変わる」時期でもある思春期。医学的な研究では、児童期と青年期の狭間で見過ごされ、わからないことが多いそうです。人生を縦軸で考える姿勢が医学には必要ではないかと、医学的な見地からだけではなく、教育や福祉の関係者が発達理論も踏まえて関わることの大切さを説かれています。
夏苅さんがある古い精神病院に勤務した時、ほとんどの人が10~20年以上入院しているという中で、「どう考えても発達障害ではないか」と疑われる人が相当数いたそうです。でも、診断名は統合失調症となっている。「実は発達障害のために学校不適応を起こしたが、当時はそのような診断名がなかったために統合失調症と診断されて入院となった。しかし薬を投与しても改善しないため長期入院となった」のではないかと考えたそうです。
「思春期を、乳児期・幼児期・小児期を『もとに』発展する(組み換え、再編する)時期という視点で考える」、学校という決められた集団に適応できない一定数の子どもたちの環境づくりのための一環として、思春期医療は貢献できるとされています。
患者・家族としての私の願い:人間の発達課題を、学び訓練したスタッフを
児童や成人の患者にはない思春期の特徴に対応するには、人間の発達課題を学び、訓練したスタッフが必要。
また支え手には「適切な支え方」や「距離感の調整方法」に必要。
思春期病棟を1つの足掛かりとして、精神科での入院全体が良くなる方向へ進むように、今後も活動を続けるそうです。
第7章:不思議7 成人した患者さんに対して、なぜ「家族会」が必要なのか
精神疾患を持つ人は、日によって状態の上下があったり(しかも特に原因がなく)、人前に出ることを極端に恐れたり、考えがまとまらなかったりといった症状を有することが多く、このような特性を持つ人たちが「患者の会」を当事者だけで運営しようとすると、大抵いつもどこかで誰かが調子を崩していて、一堂に会して何かを決めたり、団体で交渉したちすることは困難です。そのため、親などの家族に依存することに。
親などの家族も、自分たちが動かなくては誰も動いてくれない、自分のせいで子どもは病気になったのでは、といった悲壮感や罪悪感を抱き、家族会が大きくなっていったのではないか。
そんなことを書きながら、みんなねっとやコンボについても綴り、医療関係者や精神科医療に関心のある人は家族会の集まりに顔を出してはと勧めています。関心を持つことがそのまま支援につながる、関心を持つことが、患者や家族の応援になるのだと。
患者・家族としての私の願い:家族の本当の願いは「家族ケア」ではありません
民法730条「・・・親族は、互に扶け合わなければならない」という規定を「一番嫌いな法律」と書き、「ケアしなくてもいい権利」「ケアする権利」について述べ、家族に依存した支援から社会による支援への転換を訴えられています。
家族は、支援者や治療者にはなれない。それを前提として、家族ができる支援は①病気を理解すること、②仲間づくり、③心のお手入れを積極的に行うことであり、心のお手入れとしては明るく過ごせるように、あるいは気分を良くするために小さな目標設定で達成感を味わったりといった工夫について書かれています。
第8章:アンケートから見える「望まれる医師像」
精神科医の診察能力、態度、コミュニケーション能力についてのアンケート
終章:精神科医療の未来に向けて
病気を治せない精神科医療の目的は、患者さんと家族の生命を守り、人生・生活を良くすること。
リカバリーについて語り、「リカバリーという考え方は、医学では動かし得ない『時間』という枠の中で、人間が生き延びるための知恵であるかもしれません」と結んでいます。
精神科医療の未来に向けて、次の3つを提案しています。
- 医師が患者さんの生命を大切にすること、医師は患者の体にもっと目を向けるべき
- 患者も家族も急がない医療をオーダーする、目先の結果だけではなく、医師に余裕を持たせ、一緒に長い人生を考えていくこと
- 医療者・患者・家族といった個人の努力ではどうにもならない医療制度の問題を改善すること
日本の精神科医療は圧倒的に人手不足で、特に看護職が足りない。医師にあまりにも権限が集中しすぎている。医療者を育てる増やすという根本的な策と同時に、医師の権限の委譲という考え方も必要ではないか。患者の実際の生活は、看護師や保健師、ソーシャルワーカーの方が医師よりずっとわかっていることの方が多いのだから。
あとがき
夏苅さんは(見かけによらず)負けず嫌いで、何に対して負けたくないのかというと「権力」に対してだそうです。
ご母堂やご自身のことを公表したのは、「患者や家族の思いを精神科医へ直に伝えたい」という願いもありつつ、もっと奥の深いところには「権力に対する恨み(ルサンチマン)」がいくつかあったのだとか。夏苅さんご自身は、その感情をあまり認めたくなかったそうですが、自分の気持ちに少しずつ正直になり向き合えたことでとても楽になったそうです。長年悩んでいた肩こりが嘘のように治るほどに。
ルサンチマンにまだ向き合えていない人は、公にするのではなく、当事者会や自助グループなどで安全に聞いてもらうことから始めるのも良いのかも。語ることは回復にとって大きな意味があり、ルサンチマンを昇華できますよ、と。
患者さんを「同一視」してしまう傾向があり「同病相哀れむ」に近い心情を持つ夏苅さんは、精神療法の基本となるような本を1冊、常に脇に置いて「基本に戻る」練習をすることと、心の疲労を取るために、信頼できる精神科医の患者となり話を聴いてもらっているそうです。
あとがきのあと
非常に長い記事となりました。
完全に自分のためのメモとなってしまいましたが、どなたかのお役に立ったら幸いです。