社会福祉士学習の記録|レポート(20) 第5回(2)『低所得者に対する支援と生活保護制度』

この記事は、社会福祉士養成課程(通信)の20番目のレポート(科目は「低所得者に対する支援と生活保護制度」)に関することをまとめたものです。

S評価を得たレポートの実例つきです。

レポートの作成過程を細かく記載しているので、内容はてんこ盛りです。
お忙しいでしょうから、ぜひ必要な個所に絞って見てくださいね。

以下の記事にまとめた手順に沿ってレポートを作成する準備を進めました。

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目次

レポートは2択

レポートの課題は、以下の2つから選べました。

(a) わが国の生活保護におけるお恵みから権利への転換について
~戦前の救護法と戦後直後の旧生活保護法との制度内容等を比較してまとめなさい。

(b) 公的扶助の制度的特徴について
~公的扶助の中心的制度である生活保護制度と社会保険制度を対比する形でまとめなさい。

昔のことを知るのが好きなので、(a)にしました。

レポート作成の手順

毎度恒例、「社会福祉士養成通信課程で提出するレポートとその作成方法について【土台=基礎編】」の「レポート作成の手順」に沿って作業を行っていきます。

テーマ分析

「戦前の救護法と戦後直後の旧生活保護法との制度内容等を比較してまとめる」という課題が、どのような内容を期待して設定されたのかを考えます。

また、社会福祉士養成通信課程におけるレポートは、

  • 学習を進めているよ!ということを学校に知らせる
  • こんなふうに理解しているよ!ということを先生に知らせる

ということも目的としていると考えられるため(参考:社会福祉士養成通信課程で提出するレポートの意味)テキストの内容を踏まえつつ、少し発展させたレベル内容も盛り込めるとベターかと思います。

今回のレポートは、

  • 戦前の救護法と戦後直後の旧生活保護法の制度内容比較
  • 生活保護の、お恵みから権利への転換に関する考察

以上2点が端的にしっかり書けていれば、及第点はもらえると思われます。

材料を集める

レポートを書くにあたって必要な材料を集めます。

学校指定のテキストの中や、テキストに出てきた資料から主に材料を探します。

受験ワークブックや過去問も少し使いました。

材料を集める

お恵みから権利への転換

お恵み

まずは、【お恵み】について。

お恵みとは即ち、社会事業となる前の慈善事業による扶助を指すと思われます。

慈善事業

施与者の一存によって行われる救済のことを指す。施与者の志によって救済の質も量も左右された。

学校指定のテキスト『現代社会と福祉』73ページ

救護法と旧生活保護法の共通点と相違点

学校指定のテキストの、56~63ページに戦前の救護法と戦後直後の旧生活保護法の制度内容について記載があります。主にそこからピックアップします。

救護法 旧生活保護法
対象
  • 65歳以上の老衰者
  • 13歳以下の幼者
  • 不具廃疾、疾病、傷痍、その他の精神または身体の障害により労働を行うことに故障のある者

家族制度を引き継ぎ、対象者の範囲を極度に制限。

  • 生活困窮者一般(欠格条項あり)
  • 労働能力のある貧民を排除する制限扶助主義。
  • 性行著しく不良又は著しく怠惰な場合は保護(救護)しなくてもよい。扶養義務者が扶養できる者は,急迫な事情がある場合を除いて保護しない。
  • 保護請求権と不服申立て制度はない。
実施機関 市町村

※救護法の方面委員(旧生活保護法の民生委員)は市町村長の補助機関

保護の種類
  • 生活扶助
  • 生業扶助
  • 医療
  • 助産
  • 生活扶助
  • 医療
  • 助産
  • 生業扶助
  • 葬祭扶助
保護施設
  • 養老院
  • 孤児院
  • 病院その他
  • 養老施設
  • 救護施設
  • 更生施設など

(保護施設の種類に関する具体的法規定なし)

原則居宅救護
被保護者数 最大でも23万人(2.4%~3.4%) 270万人台~160万人台
(37.7%~20.0%)
国庫負担 市町村の負担に対して国は2分の1内を補助 8割
その他
  • 家族制度
  • 国家責任、無差別平等、公私分離の3原則

救護法について

明治以降に形成された資本主義体制は労働者の貧困化を伴い、寄生地主制により農村は窮乏を勧めた。第一次世界大戦後の不況、関東大震災、昭和恐慌、世界恐慌等が相次ぎ多くの生活困窮者が発生したが、従来の恤救規則ではこうした人々の支援は困難であり、貧困の社会性が理解されるようになった。国民の窮乏化が深刻化する中で救護法は1929年に制定され、1932年に施行された。日本がいわゆる15年戦争により戦時体制が強化されるのに伴って母子保護法などの特別法が制定され、救護法の役割は縮小されていった。

  • 従前の恤救規則に比べて救護対象者や救護の種類を拡大、公的救助義務の明示など進歩的な面もあった。
  • 基本的に家族制度を引き継ぎ、対象者の範囲は極度に制限して失業者を排除するなど、慈恵的制度の域を出るものではなかった。
  • 表向きは家族制度の維持を謳いながらも、実は財政引締めと制限主義で、生活困窮者が多数存在するにも関わらず、あくまでも生活不能者のみを対象とした点にも制限主義が強く現われている。
  • 救護法の目的は家族制度・隣保扶助を尊重しながら、国民生活の不安と思想の動揺を防止すること。家族制度の維持と社会運動を押さえることとが表裏一体となっており、その意味で懐柔的治安政策という性格にウエイトがあった。
  • 救護法に公的義務主義が取られ、貧困の社会性を認めが、思想的に大正デモクラシー期の新しい思想を背景としたものではなく、依然、恤救規則に残存した古い思想を継承したもの。
  • 被保護者は参政権を認められないなど劣等処遇的性格は明確。
  • 生活扶助の水準は「生活維持の為要する最小限度の衣食住の費用」とされていた。

旧生活保護法について

1945年8月の敗戦後、日本は福祉政策においてもGHQの強力な指導のもとで近代的な公的扶助が導入された。GHQは1946年2月にSCAPIN775号によって救済福祉の基本的方向を示し、その理念に基づいて旧生活保護法が制定された(1946年9月制定、10月施行)。

当該法により戦前の救護法をはじめとする救貧関係諸法律が廃止、一般扶助主義の立場から要保護者に対する生活保護が国家責任を原則とすることが初めて明文化された。そのため保護に要する財源の8割を国が負担することとなった。

それまでの制限扶助主義から一般扶助主義となり、無差別平等の保護を定めるとともに、要保護者に対する国家責任による保護を明文化した。しかし、勤労意欲のない者や素行不良の者等には保護を行わないという欠格条項が設けられ、保護の対象は限られたものであった。

恤救規則からはじまり、救護法及び旧生活保護法は、これらの救貧制度の(行政側の)運営について定めた法であって、被保護者の権利について十分な規定がなかった。明治から旧生活保護法までの救貧制度は、被保護者の参政権の制限と並んで、救済を求める権利を認めていなかった。

大正14年の「普通選挙法」において、被保護者は選挙権及び被選挙権を持たないと定められた。被保護者の参政権の制限は、昭和22年の衆議院議員選挙法の改正によって削除されるまで継続された。

日本国憲法第25条の生存権に基づく法律であることが明文化され、保護受給権を認め不服申立制度が法定化されるのは、1950年の新生活保護法制定による。他国の公的扶助制度と比較をしても、被保護者の権利について独立した章を設けて定めている例はない。この現行生活保護制度の被保護者の権利は先進的な形と言える。

S評価のレポート例

ブジカエル
私が提出したレポートの評価がSでした。
ご参考になれば幸いです。
完全コピペはダメですよ。

掲載するレポートの評価は以下の通りです。

点数 90点
総合評価 S

項目別評価は、
・課題の理解度 S
・論旨と構成 S
・自己の見解 S

1. 救護法
社会の変化や不況・災害によって生活困窮者が増加、国民の窮乏化が深刻化する中、恤救規則とこれを補完する制度による支援は困難となり、救護法が1929年に制定、1932年に施行された。その後、日本が満州事変から太平洋戦争へと戦時体制が強化されるのに伴い母子保護法等の特別法が制定され、救護法の役割は縮小されていった。
生活困窮者を、原則として居宅保護により救護するものであり、扶助の種類は生活・生業・医療・助産の4種。公的扶助義務の確立、支給内容の明確化、対象者の拡大などの点で、恤救規則からは前進した内容となっている。経費は原則、市町村の負担とし、国が2分の1、道府県が4分の1を補助した。
保護請求権は認められておらず、被救護者は参政権を認められないなど劣等処遇的性格を明確に有している。恤救規則と同様に制限扶助主義をとり、労働能力のある者は保護しないとするなど、対象者の範囲を極度に制限している。また家族制度を前提としており、第一条の条件に該当しても扶養能力のある扶養義務者があるときは、実際に扶養が行われていなくても、急迫の場合を除き救護しないとされた。

2. 旧生活保護法
太平洋戦争の敗戦を受け、日本はGHQの強い影響のもと近代的な公的扶助を導入、旧生活保護法が1946年9月に制定、10月に施行された。GHQが「社会救済に関する覚書」(SCAPIN775、1946年2月)で示した、公的扶助の原則(無差別平等、国家責任、公私分離、最低生活保障等)に基づいて当該法が立案され、救護法からの前進が図られた。
無差別平等を定めたことで、救護法までの制限扶助主義から一般扶助主義となり、保護の対象は生活困窮者一般とされた。被保護者数は救護法下では最大でも23万人に止まったのに対し、旧生活保護法下では160万~270万人台となった。
扶助の種類は、医療・助産・生活・生業・葬祭の5種で、救護法より増えた。要保護者に対する国家責任による保護を明文化し、保護に要する財源の8割を国が負担することとなったが、保護の実施機関は救護法と同様、市町村長とされた。
しかし、勤労意欲のない者や素行不良の者等には保護を行わないという欠格条項が設けられ、保護の対象は当該法においても引き続き限られ、また、保護を求める権利は認められなかった。

3. 考察
日本の貧困対策は恤救規則から救護法、旧生活保護法、新生活保護法へと段階を踏んで発展してきた。旧生活保護法はGHQからの圧力をもって救護法からは前進したものの、無差別平等の原則を謳いつつ欠格条項が設けられるなど、慈恵的救済の色が残っていた。1950年の新生活保護法では、日本国憲法第25条の生存権に基づく法律であることが明文化され、保護受給権を認め不服申立制度が定められた。「お恵み」から「権利」への転換を図る法制度や理念が整ったと言えよう。
しかし、生活保護に対するスティグマ、慈恵的救済の考えは今も存在する。ソーシャルワーカーは貧困を社会問題として認識し、また生活保護の理念についても正しく理解して支援に当たらねばならない。

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この記事を書いた人

このブログを運営しているブジカエル、カエル好きですがカエルにはあまり詳しくありません。精神障害者地域移行支援施設の生活支援員。国家資格キャリアコンサルタント。旅好き、学び好き、放送大学9年目のマルチポテンシャライト。科学的な幸福の研究に興味津々なポジティブ心理学実践インストラクター。健康管理好き、2013年に健康管理士、食生活アドバイザー3級&2級を取得。
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